友だち幻想 ~友だちの必要性を考える~
こんばんは。
遠藤です。
1週間ぶりの投稿になります。
気温がいきなり高くなったせいか、疲労が溜まっていたのでブログお休みしていました。脳が活性化せず、やる気もなく、ブログを書こうとは思わなかったですね。
無理はせずきちんと休んだのでよかったです。体調が戻りましたから。
はい、ちょっとした余談は終わり、今日は「友だち」について深堀りしていこうと思います。
あなたにとって友だちは必要ですか、100人いれば幸せですか、孤独でも平気ですか。
寂しさを紛らわすために価値観が合わない人と無理してまでつるんでいませんか。また、相手のことをきずかい絶縁できない人がいませんか。こういったことは、いますぐやめることをオススメします。何もメリットはありませんから。
自分のことを犠牲にしてまで他人のために尽くしている人はぜひ本記事を閲覧してください。今までの「友だち」の価値観が大きく変わります。学校教育で植え付けられた「友だちは多い方がいい」「他人を傷つけてはいけません」という洗脳から解放されるかもしれません。
自分の人間関係を豊かにするヒントがあるので、こうした悩みを抱えている方にオススメの記事になります。
本記事では、この本を参照に情報を共有しています。
目次
友達だちの必要性を考える
1 日本人は「友だち」を大切にしすぎる!?
上記の『友だち幻想』に書かれていた内容ですが、ある調査結果があります。日本、アメリカ、中国、韓国の高校生に「若い内にぜひやっておきたいことは何ですか」という質問をしました。
その結果、日本の高校生は「一生つきあえる友人を得たい」「いろんな人とつきあって人間関係を豊かにしておきたい」と回答する人が高い割合になっています(日本青少年研究所の調査)。
他3か国でも「友人は大切だ」という意識は強いですが、日本ほどではありません。他国では、「偉くなりたい」「自分を磨きたい」と未来に対する成長を望んでいる意見が多いのが特徴です。
こうしてみてみると日本の高校生は「友人を重視する」傾向が高く、未来に対しては「そこそこの生活ができればいい」と将来への希望をさほど抱いていない意見が多く見らます。
しかし、実際には友だちに関する悩みを多く抱えているのがいるのではないでしょうか。最近では、いじめや引きこもり、自殺が社会問題として注目をあびています。さらには、SNS(承認欲求を満たすための)によって精神的に疲労して苦しんでいる人が多いような気がします。
友だちがいるのにどこか寂しい。彼氏・彼女はいるのに満たされない。こうした悩みを抱えている方も中にはいるでしょう。
人間関係に恵まれたいが、どのように良い関係を築いたらいいかわからない、他人に気をつかいすぎて神経をすり減っていると悩んでいる人が多く見られます。
解決策としては、人間関係の幻想や固定した思い込みから開放されなければなりません。例えば、日本人にとって非常識かもしれませんが「いらない人間関係は断ち切る」「孤高に生きる」など、枠からはみ出た考えが必要です。
「私には難しい」「嫌だよ」などと批判したくなる気持ちがあるかと思いますが、人間関係に悩みを持つよりはずっと効果的です。詳しいことは、以下3章に書いてあるので、そちらをご覧ください。
2 友だちを作りたい理由
寂しい
人は「孤独」だと感じると人と繋がりを求めたくなる傾向があります。孤独には寂しさが含まれます。寂しさは、「誰かと繋がっていないとき」や「自分が頼られない」ときに感じるものでないでしょうか。誰かと話したい、誰かと一緒に遊んで楽しみたい、自分が他者に貢献し喜ばれたいなど、多くの人が持つ欲求です。他者と繋がりことで生きがいを感じ幸せになれるから、人は友だちを作ると私は考えています。
共感してほしい
特に日本人は、自分と同じ意見や価値観を持つ人を好む傾向があるのは周知の通りです。集団の和を大切にする文化があり、枠からはみ出ないよう他人に合わせようとします。
それは置いておいて、
他に友だちを作りたくなる理由としては、「自分の考えを共感してほしい」からではないでしょうか。他者が自分の意見を分かってくれることで、生きがいをもたらしてくれます。また、自分の存在が認められたと思い喜びを感じます。そして、お互い理解し会えることで、良好な人間関係を築ける可能性が高まります。
私自分も自分の考えを分かってくれる人とは仲良くしたくなります。私の場合、本が好きなので本好きな人と繋がりたくなりますね。
3 友だちは人生において必ずしも必要ない
ここからは少し非常識な考えをご紹介します。ほとんどの方は、学校教育で「友だちは大切にしなさい」「友だちは大切な存在です」と教わってきたので衝撃を受けるかもしれません。冷たい表現が多いかもしれませんが、その点はご了承ください。
友だちは所詮赤の他人
冷たい表現ですが、やはり友だちは「赤の他人」です。家族でも親戚でもいとこでもありません。本当に困ったとき、友だちは助けてくれません。すべて自分自身で問題を解決しなければなくなります。
あなた自身、友だちが困っていたとき(例えば、勉強がわからない、けがしているときなど)は助けてあげられますが、本当に困ったときはどうでしょう。例えば、多額の借金、重大な病気など、無理ではないでしょうか。
些細な日常事の手助けであればお互い協力し合えますが、やはり規模が大きな問題ですと友だちを助けられることは不可能でしょう。
自分の人生は、自分で責任を負うしかありません。誰も助けてはくれません。
傷をなめあう関係では成長できない
友だちの定義は、コトバンクよると「互いに許しあって、対等に交わっている人」と書かれています。「友だち」の存在は寂しさを紛らわす、協力する点では役にたちますが、度を越えてしまいますとお互い傷をなめあう関係になってしまいます。
傷をなめあうということは、失敗を認めない、失敗をしたのは他者の責任など、自分の非行を認めず自分がやったことを無理にでも正当化するため成長しようとしなくなります。こんな人間関係は、決して効果的ではありませんね。もちろん、「友情」なんかも育まれないでしょう。
人が成長するのは「孤独」のときです。一人の時間こそが、自分自身と向き合い、思考を深め、自分を磨くことができるのです。私自身も孤独を愛しており、積極的に一人になり自分磨きを行っております。
一人でいれば、無駄な人と関わることがなく、自分の時間を多く確保できます。一流の人は、この一人の時間を有効活用しています。勉強して知識やスキルを身につける、瞑想して心を安定させる、人間性を高めるるよう読書など、に取り組んでいるのです!
必要のない人間関係をつづけるのはお互い何のメリットもない
嫌な人と付き合いつづけることには、何のメリットもありません。
お互いストレスになりませんか。つまらない話を聞いたり、無理にでも相手の話に合わせようとする行為は非常に疲れます。
また、時間の無駄でしかありません。自分の時間を相手に譲り渡す、相手も自分に時間を譲り渡す、これではお互い人生において失礼なことをやっているのと同じです。
こうして考えてみると、自分のためにも相手のためにも、必要のない人間関係はいますぐにでも切った方がいいと私は考えています。お互いの幸せのためにも、人間関係を断ち切ることは大切なことです。
いかがでしたか。
友達や人間関係について見直すことができましたか。何か一つでも有益なモノがあったのであれば幸いです。
私自身、人間関係はさほど広くありません。深く狭い付き合いをしています。広い付き合いをすると、人間関係の悩みが多くなるからです。また自分の時間も奪われます。
私は正直、人間関係が広いことを好んでいません。パーティーや宴会、飲み会など、絶対と言っていいくらい参加したくないからです。参加してもあまり楽しいと感じません。
わざわざ楽しいと感じないイベントには参加したくありません。話が合わない人がいてもつまらないでしょう。
今日はこの辺で終わりにします。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
また次回の記事でお会いしましょう!
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